原文更新日 : 2006-06-19
翻訳更新日 : 2007-06-27
喪失、悲嘆、死別に関する患者さん向けのこの要約は、がんの専門家が医療従事者向けに作成した要約を編集したものです。本稿を含め、がんの治療、検診、予防、支持療法および現在米国で行われている臨床試験についての信頼できる情報は、米国国立がん研究所(NCI)から得られます。愛する人ががんの終末期から死へと向かっていく過程は、人それぞれで異なる体験となります。この短い要約では、喪失、悲嘆、死別;悲嘆の各段階;悲嘆への対処方法について記載されています。またこの要約には、子供と悲嘆に関するセクションも設けられています。
愛する人を失うという状況への対処方法には様々なものがあります。人によっては、たとえそれがつらく困難な経験であっても、人格的な成長へとつながっていく場合もあります。死への対処には正しい方法など存在しません。また、悲嘆の表現方法は当人の人格や故人との関係に左右されます。当人がその悲嘆にどう対処していくかについては、がんの体験、病気の進行経過、文化的・宗教的背景、対処技術、精神疾患の病歴、支援システム、当人の社会的・経済的地位などが影響してきます。
悲嘆、死別、喪という3つの用語は、しばしば同じように用いられますが、これらはそれぞれで異なる意味をもった言葉です。
悲嘆とは、喪失に対して起こる正常な反応の過程です。悲嘆反応は、物理的喪失(例えば、死)に伴って生じることもあれば、象徴的または社会的喪失(例えば、離婚、失業)に伴って生じてくることもあります。喪失とは、それがどの種類のものであれ、人が何かを失ったことを意味します。がんの患者さんの家族は、がんという病気を経験していく中で多くの喪失を体験し、その喪失のひとつひとつが家族の悲嘆反応の誘因となっていきます。悲嘆の現れ方としては、精神的反応、身体的反応、社会的反応、情緒的反応などの形式があります。精神的反応には、怒り、罪悪感、不安、悲しみ、絶望などがあります。身体的反応には、睡眠の問題、食欲の変化、身体的問題、病気などがあります。社会的反応では、家族内の誰かを介護することへの考え方、家族や友人との付き合い方、職場へ復帰することへの考え方などに影響が生じてきます。悲嘆の過程も、死別と同様に、故人との関係やその死を取り巻く状況、故人への愛着の強さなどに応じて様々に変化します。悲嘆は、身体的問題の発生、故人を想ってやまないこと、罪悪感や敵意を抱くこと、普段の活動を行う際の行動の変化などによって表現されます。
死別とは、喪失か始まって悲嘆を体験し喪の過程が進行している時期のことをいいます。この死別の期間の長さは、故人への愛着の強さや、喪失を予期する時間がどれくらいあったかによって変わってきます。
喪とは、喪失に適応するための過程のことをいいます。喪もまた、喪失に対処するための文化的慣習や儀式、社会規範などの影響を受けます。
喪の段階にある人が日常の生活を取り戻すために通らなければならない過程を、悲嘆の作業と呼びます。この過程には、故人との離別、故人のいない世界への適応、新たな人間関係を築くことなどが含まれます。故人と離別するには、愛する人に向けていた感情のエネルギーを別の方向に向けなおす必要があります。これは故人を愛していなかったとか忘れるべきだということではなく、別の方向に向けることで感情の充足を図る必要があるということです。故人のいない世界での生活に適応するためには、自身のもつ役割やアイデンティティ、各種の技術に変化を加えなければならない場合があります。かつて故人に向けていた感情のエネルギーは、他の人物や何らかの活動へと向けなおされなければなりません。
悲嘆の過程には身体的にも感情的にもエネルギーを必要とするため、悲嘆を体験している人では極度の疲労を感じることがよくあります。人が感じる悲嘆は、その故人に関するものだけにとどまらず、故人との関係において達成されなかった希望や計画に関するものまでもが含まれます。死は往々にして過去の喪失や別離を追想させます。喪には以下の3つの段階があるといわれています:
命に関わる病気に他の人々がどう対処しているのかを知っておくことは、患者さんとその家族が病気に対処する準備を整えることの助けとなります。命に関わる病気の体験は、以下の4つの段階に分けられるといわれています:
命に関わる病気の診断前の段階とは、診断を受ける少し前の、本人が病気になったかもしれないと気づく時期のことです。この段階は、通常すぐに終わってしまうものではなく、身体診察や様々な検査を受けている間中続き、さらに診断を告げられる瞬間まで継続します。
急性期とは、診断時に生じる、診断結果の理解と治療に関する決断を否応なしに迫られる時期のことです。
慢性期とは、診断を受けてから治療の結果が分かるまでの期間のことです。この時期には、患者さんは生活上の必要な事柄への対処を試みつつ、それと同時に治療を受け、その副作用にも対処していきます。以前は、がんと診断されてから死に至るまでの期間が数カ月しかないといった場合が通常で、また患者さんの多くがこの時期を病院内で過ごしたものでした。しかし現在では、がんの診断後も何年間も生き長らえることが可能となっています。
回復期に入ると、人はがんによって生じた精神的影響や社会的影響、身体的影響、宗教的影響、経済的影響などに対処していきます。
命に関わる病気の終末期とは、死が迫ってきた時期のことです。この時期に入ると、治癒や延命から快適性の向上と痛みの緩和へと、ケアの焦点が移り変わります。またこの時期には、宗教的な配慮が重要視されることが多くなります。
臨死状態の患者さんが死を迎えるまでの道のりは、その長さも内容も人それぞれです。死に至る原因が異なれば、死への道のりもまた異なってきます。
長くゆっくりと、ときには数年間かけて死に至る道のりもあれば、病気の慢性期が(たとえあったとしても)短い場合には、瞬く間に死に至る場合もあります(例えば、交通事故の後)。回復と悪化を繰り返す患者さん(例えば、エイズの患者さんや白血病の患者さん)の場合のように、起伏の多い道のりもあります。また、長くゆっくりと健康が損なわれた後に一定の期間だけ状態が安定して、それから死に向かうという場合もあります(例えば、いったん病状が悪化した後に、より制限の多い状態で安定する場合)。この道のりをたどる患者さんの場合、生活能力の低下に再度適応しなければなりません。
がんの患者さんの場合は、死を迎えるまでの期間が長くなることが多く、しかも痛みや苦しみが長期にわたって生じてきたり、心身の制御ができなくなったりすることもあります。また、がんによる患者さんの死では、その闘病生活の長さゆえに、その家族が気力や体力を失ってしまう可能性が高くなります。
予期悲嘆とは、患者さんやその家族が死を予期したときに生じる正常な喪のことをいいます。予期悲嘆では、患者さんの没後に家族が経験するものと同じ症状が数多く現れてきます。この悲嘆には、予期されている死に関する思考や感情、文化的・社会的反応で、患者さんとその家族が感じるもの全てが含まれます。
予期悲嘆では、抑うつ、死にゆく人に対する極度の心配、死に対する準備、その死がもたらす変化への適応などが起こってきます。予期悲嘆には、この喪失という現実に家族がゆっくりと時間をかけて慣れていくことを可能にするという効用があります。また、死にゆく人に対してやり残していたことを済ませておくことも可能になります(例えば、お別れの言葉、愛の言葉、許しの言葉を伝えるなど)。
予期悲嘆は必ず生じるわけではありません。また予期悲嘆とはいっても、死の後に経験する悲嘆と同種のものを死の前に経験するということではありません。人が経験する悲嘆には決まった量はありません。そのため、死の前に悲嘆を経験したとしても死の後の悲嘆の期間が短くなるわけではありません。
不測の死に続いて生じる悲嘆は、予期悲嘆とはその性質が異なってきます。不測の喪失が起きると、それがその人の対処能力を超えてしまう結果、正常な活動を継続する能力を維持できなくなる場合があります。また、喪の過程にあっても喪失という衝撃を完全に認識することができない場合もあります。さらに、その喪失が起きたことを頭では理解していても、精神的、情緒的にその喪失を受け入れることができない場合もあります。不測の死が発生した後では、喪の過程にある人には世の中が理不尽で不条理であるかのように感じられることがあります。
一部には、予期悲嘆などめったに起こらないと考えている人もいます。人は、まだ生きているうちに愛する人の死を受け入れてしまった場合、その死にゆこうとしている人を見捨ててしまったかのような気持ちになることがあります。また喪失を予期することは、しばしば死にゆく人への愛着を強めることにつながってきます。予期悲嘆は家族にとっては助けとなりますが、死にゆく人にとっては過度の悲嘆を経験することにつながり、患者さんが内にこもる原因となってしまう場合もあります。
死別の過程は、以下の4つの段階に分けられるといわれています:
喪失の後に遺された人が受ける支えは、その人の友人や家族からのものがほとんどです。医師や看護師もまた支えとなれる場合があります。喪失への対処に苦労している人には、悲嘆カウンセリングや悲嘆療法が必要となることがあります。
悲嘆カウンセリングは、正常な悲嘆反応を示している人が悲嘆の作業を遂行する際の助けとなります。この悲嘆カウンセリングは、専門の訓練を受けた人物によって、あるいは死別体験者による自助グループにおいて提供されています。こうしたサービスはどれも個人で受けるものとグループで受けるものの両方が用意されています。
悲嘆カウンセリングは以下のようなことを目標として行われます:
悲嘆療法は、より深刻な悲嘆反応を示す人に対して用いられます。悲嘆療法を行う際の目標は、喪の過程にある人が故人との離別において抱えている問題を特定し、解決することです。離別が困難になった場合は、身体面または行動面に問題が生じる、喪が長期化または極端化する、悲嘆中に葛藤が生じたり長期化したりする、喪の過程が予想外の状態になる(ただし、がんで亡くなる場合はほとんどありません)、などの形で影響が現れてきます。
悲嘆療法には、個人で受けるものもグループで受けるものもあります。治療の契約は、治療期間の制限、料金、治療目標、治療の焦点などを定めた上で、個人ごとに締結されます。
悲嘆療法においては、患者さんは故人について話し、その死に関して予想される量の感情を既に経験してきたかどうかを認識できるように努めます。この悲嘆療法を行うことにより、喪の過程にある人は、故人に対して肯定的な感情に加えて、怒りや自責感などの否定的で不快な感情が同時に発生してくる場合もあるということを理解できるようになります。
人間には、他者との間に強い絆や愛着を作り上げようとする傾向があります。しかし相手の死などによってこうした絆が断たれてしまうと、強い情緒的反応が生じてきます。喪失を経験した人は、悲嘆の過程を完全に通過するために、一定の課題を遂行しなければなりません。こうした喪の課題の基本的なものとしては、生じた喪失を受け入れること、悲嘆の身体的・情緒的苦痛を感じながら生活していくこと、愛する人のいない生活に適応していくこと、愛する人と情緒的にも離別して故人のいない人生を生き続けていくこと、などが挙げられます。重要なのは、こうした課題を全てこなして初めて喪が終了するということです。
悲嘆療法では、遺された人が喪の作業を全て遂行するのを援助するために、以下の6つの課題が用いられます:
過去の喪失による悲嘆の作業が完全に遂行されていないと、悲嘆の複雑化と呼ばれる現象が発生することがあります。新しく始まった悲嘆に対応するためには、まず過去の喪失に対する悲嘆に対応していかなければなりません。そこで悲嘆療法では、喪の過程を妨げている障害に対応していくことや、故人に対してやり残したことを明確にすること、その死から生じた別の喪失を明確にすることなども行われます。こうしたことにより、死別者は、その喪失が最後のものであるということを理解し、悲嘆の終了後の人生像を思い描けるようにもなっていきます。
複雑性の悲嘆反応には、複雑性でない悲嘆反応よりも手の込んだ治療が必要となります。複雑性の死別反応でよくみられる問題としては、適応障害(特に、抑うつ気分、不安な気分、情緒面と行動面の乱れ)、大うつ病、薬物乱用などがあり、ときには心的外傷後ストレス障害に陥ることさえあります。複雑性悲嘆とは、悲嘆症状が長期化した場合や、症状によって一定の支障が生じてきた場合、あるいは症状がひどい場合(例えば、強い自殺思考や自殺行動)のことをいいます。
複雑性悲嘆や未解決なままの悲嘆がある場合、悲嘆や喪がまったく起こらなくなる、正常な悲嘆反応を迎えられなくなる、悲嘆が長期化する、悲嘆中に葛藤が生じる、悲嘆が慢性化する、などの現象が起こってきます。複雑性悲嘆を起こしやすくする要因としては、突然の死、喪の過程にある人の性別、故人との関係(例えば、強い関係、極端に親密な関係、相い容れない関係など)などがあります。大うつ病に発展していく悲嘆反応には、薬物投与と心理療法による治療が行われなければなりません。故人を思い出させるものを全て避ける人、故人のことを絶えず考えたり夢に見たりする人、故人を思い出すとすぐ怯えたりパニックになったりする人は、心的外傷後ストレス障害に陥っている可能性があります。喪失に関するつらい感情や症状(不眠など)を避けようとして物質乱用に陥る場合もありますが、これも薬物療法と精神療法で治療できます。
以前は、子供は大人の縮小版で、大人と同じように行動するものと考えられていました。しかし現在では、子供と大人では喪の過程に違いがあるということが知られています。
死別を経験した子供の悲嘆反応は、大人のものとは違って、絶え間なく続く強い感情や行動として現れることはありません。子供の悲嘆は、短時間に限られた散発的なもののようにみえることもありますが、実際には大人の悲嘆よりも長く持続しているのが通常です。これは、子供には強い感情を経験する能力が限られているためと説明されています。子供は成長の過程で繰り返し喪に向かわねばなりません。死別体験は長期間継続する過程であるため、子供時代に死別を体験した人は、キャンプや卒業、結婚、子供の誕生などの人生の重大事のたびに、その喪失について繰り返し考えさせられることになります。
子供の悲嘆は年齢や性格、発達段階、過去の死にまつわる経験、故人との関係などに影響されます。また、死をめぐる状況や、死の原因、その死の後も家族が互いにコミュニケーションを取って家族が家族であり続けられるか、などの要素も悲嘆に影響を及ぼします。さらに、その後の養育の必要性、誰かに感情や思い出を共感してもらえる機会の有無、両親のストレス対処能力、他の大人との安定した関係などもまた、子供の悲嘆に影響を及ぼす要因です。
喪失に対する子供の反応は、大人のものとは異なります。子供の場合、悲嘆の過程にあっても大人のように感情をあらわにしない場合があります。内にこもったり故人のことをくよくよ考えたりせず、何かの活動に没頭する子供もいます(例えば、ふと悲しそうにしていてもその次の瞬間にはもう遊んでいるなど)。そのため他の家族は、子供が死をきちんと理解していない、あるいは、もうその死を乗り越えたものと考えてしまいがちです。しかしこれはそうではなく、圧倒的な力をもつ物事から自分自身を守ろうとする、精神的な防衛反応なのです。また子供の悲嘆の期間が短いのは、大人のように自分の思考や感情について深く考えることができないからです。子供はまた、悲嘆に関する感情を言葉で表現することもうまくできません。そのため子供は、その代わりの手段として、行動で訴えようとします。悲嘆の過程にある子供では、遺されたことや死に対する怒りや恐れといった強い感情が、行動として現れてくることがあります。また感情や不安に対処していく手段として、遊びの中に死を取り入れることがしばしば見受けられます。こうした遊びは子供にはよくみられるものであり、子供が安心して感情を表現できる良い機会となっています。
発達段階が異なれば、死や死に近い出来事に対する子供の理解も異なってきます。
乳児は死という概念を認識してはいませんが、喪失や別離に関する感情が、死への気づきの発達の一部を構成しています。乳児を母親から引き離すと、動きが緩慢になる、おとなしくなる、微笑や声かけに反応しなくなる、身体の変化(例えば、体重減少)、活動性の低下、睡眠時間の減少などといった現象が生じてきます。
この年齢の子供では死と眠りの区別がついていない場合が多いのですが、3歳にもなると不安を経験するようになります。そうした子供は会話をしなくなってしまい、完全に苦痛を感じているようにみえてきます。
この年齢の子供は死を眠りの一種だと理解しており、死者も生きていて、ただその方法が制限されているだけだと考えています。つまり、生と死の区別が完全にはついていないのです。子供はたとえ埋葬が終わった後でさえも故人は生きていると考えているため、その故人に関する質問をしてきます(例えば、どうやって食事するのか、どうやってトイレに行くのか、どうやって呼吸するのか、どうやって遊ぶのか)。幼い子供は肉体に死が訪れることを知っていても、それは一時的なもので、元に戻すことができ、終わりではないと思っています。子供の考える死には、呪術的思考が組み込まれている場合もあります。例えば子供は、そう思うことで他人を病気にしたりあるいは死なせたりすることができると考えていることがあります。5歳未満の子供では、悲嘆が原因で食事や睡眠、排尿、排便などの機能に支障が生じてくることがあります。
一般にこの年齢の子供は、死に対して強い興味を抱き、死んだ人の体には何が起きるのかを尋ねてきたりします。死は、生きていた人間の体から人格や魂が離れていくことと認識されていて、がいこつやお化け、死の天使、子取り鬼などはその結果生まれたものと思われています。この年齢になると、死のことを人生の終わりを意味する恐ろしいものと考えるようになるのですが、一方では、高齢の人ばかりに起こる(つまり自分達には起こらない)ものとも捉えています。悲嘆の過程にある子供では、学校を怖がる、学習面に問題を抱える、反社会的な行動や攻撃的な行動を取る、過剰に健康を心配する(例えば、自分が病気であると想像するあまり実際に症状が現れてくる)、引きこもる、などの問題が生じてきます。もしくは、異常なまでに人にくっついたりまとわりついたりするようになる場合もあります。男の子では、悲しみを素直に表現する代わりに、攻撃的で破壊的な行動を示す(例えば、学校での行動化)のが通常です。片方の親を失った場合は、悲嘆のためにもう一方の親も子供を情緒面で支えてやれないため、子供は亡くなった親と生きている親の双方に見捨てられたように感じることがあります。
9歳になるまでには、死は避けられないということを理解し、死を罰としては捉えないようになります。12歳になるまでには、死は人生の終わりを意味するもので、また誰にでも起きるものであることを理解するようになります。
| 年齢 | 死の理解 | 悲嘆の表現 |
| 乳児から2歳 | まだ死を理解できない。 | 寡黙、不機嫌、不活発、不眠、体重減少。 |
| 母親との分離により変化が生じる。 | ||
| 2〜6歳 | 死は眠りのようなもの。 | たくさんの質問をする(どうやってトイレに行くの?どうやって食事するの?)。 |
| 摂食、睡眠、排尿、排便の問題。 | ||
| 捨てられることへの恐怖。 | ||
| かんしゃく。 | ||
| 死者は何らかの方法で生きて活動し続けている。 | 呪術的思考(僕が死ねって思ったから?言ったから?大嫌いだ、死ねばいいのにって言ったから?)。 | |
| 死は一時的なもので、終わりではない。 | ||
| 死者は生き返ることができる。 | ||
| 6〜9歳 | 死を人格または魂の離脱と考える(がいこつ、お化け、子取り鬼)。 | 死への好奇心。 |
| 特定の質問をする。 | ||
| 学校を過度に恐れることがある。 | ||
| 死は終わりを意味するもので、恐ろしい。 | 攻撃的な行動を取ることがある(特に男児)。 | |
| 病気を想像して心配になる。 | ||
| 死は他人には訪れるが、自分には訪れない。 | 見捨てられた気持ちになることがある。 | |
| 9歳以上 | 人は皆いつか死ぬ。 | 感情の高ぶり、自責感、怒り、羞恥心。 |
| 自分の死についての不安が増大する。 | ||
| 気分の変動。 | ||
| 死は終わりを意味するもので、変えられない。 | 拒絶されることを恐れ、友達と違うことを嫌がる。 | |
| 自分もいつか死ぬ。 | 食習慣の変化。 | |
| 睡眠の問題。 | ||
| 退行行動(屋外活動への興味の喪失)。 | ||
| 衝動的行動。 | ||
| 生きていることへの罪悪感(特に兄弟姉妹や友人の死について)。 |
米国の社会では、悲嘆の過程にある大人の多くが引きこもって人との会話を避けるようになります。しかし子供はというと、周りの人々に(ときに見知らぬ人物にさえ)話しかけてその反応をうかがい、自分が取る反応のための手がかりを得ようとします。ときに子供はややこしい質問をしてくることがあります。例えば、「おじいちゃんは死んだんだよね、でも、いつ帰ってくるの?」といったような質問です。こういった質問は、現実を調査し、その死について語られる内容が変わっていないかを確かめるための手段なのです。
子供の悲嘆では以下の3つの疑問が表出されます:
子供はしばしば自分が呪術的な力をもっていると信じています。母親がいらだちのあまり「あなたのせいでお母さんは死にそうよ」などと言って、その後実際に亡くなってしまった場合には、その子供は実際に自分が母親の死を引き起こしてしまったと考えてしまうことがあります。また子供は、けんかの中で「死んでしまえ」などと言う(あるいは思う)ことがあります。そうして相手の子供が実際に亡くなるようなことがあると、残された子供は自分の考えが実際にその死を引き起こしてしまったと考えてしまうことがあります。
子供にとって他の子供の死は特につらいことです。その死は(親や医師の手によって)防げたかもしれないと考える子供は、自分も死んでしまうのではないかと考えるようになることがあります。
子供は両親や他の大人に養育という点で依存しているため、悲嘆の過程にある子供は、大切な人の死んだ後には誰が自分の面倒をみてくれるのだろうと心配になることがあります。
子供の悲嘆過程をより楽なものにするためには、死について隠し立てをしない誠実な態度をとり、直接的な言葉を用いて説明し、亡くなった人の追悼行事に子供を参加させるのが有効となってきます。
死について何も話さないこと(すなわちその話題に触れてはいけないと示すこと)は、子供が喪失への対処法を学習することの助けにはなりません。死について子供と話し合う場合も、説明はわかりやすく直接的である必要があります。それぞれの子供の理解の限度に応じた詳しい説明によって、真実が伝えられなければなりません。また、子供の疑問には正直にかつ直接的に答えなければなりません。さらに、その子自身の安全性について安心させる必要があります(自分も死んでしまうのではないか、残った親もどこかへ行ってしまうのではないかなどと心配していることが多いのため)。子供の疑問にはきちんと答え、その答えを子供が確かに理解できるように努めることも必要です。
死についての話し合いでは、「がん」、「死んだ」、「死」などの正しい言葉を使うべきです。言葉や言い回しの置き換え(例えば、「どこかに行った」「眠りについた」「いなくなってしまった」)は、子供に混乱や誤解を与えることがあるので決して使ってはなりません。
誰かの死に際して、子供を追悼行事の計画や式典に参加させることは可能ですし、またそうすべきです。こうした行事に参加することで、子供は(大人も)愛する人のことを記憶に留めておくことができます。これらの行事に参加することを子供に強制するのはよくありませんが、行事の中で子供が最も出たいと思う部分だけにでも出席するよう促すべきです。子供が葬儀、通夜、告別式などへの出席を望む場合は、前もって何が起きるのかをきちんと説明しておかなければいけません。残った親は悲嘆にくれるあまり子供に対して十分な配慮ができない場合もあるため、悲嘆の過程にある子供に関しては、親しい大人や親族がその面倒をみていくことが助けとなっていきます。
悲嘆の過程にある子供に見せることのできる図書やビデオには、以下のように有用なものが数多く存在します:
愛する人の喪失に対する悲嘆や、大切な所有物の喪失に対する悲嘆、人生の重大な変化に際して起きる喪失に対する悲嘆などは、年齢や文化を問わず生じるものです。しかし、各個人の悲嘆や喪の体験において、各文化の伝統がどのような役割を果たしているのかについては、あまり知られていません。死に関する態度や信条、慣行などは、様々な文化の中で、死をめぐる神話や神秘的教義などとして必ず伝えられています。
しかし、文化が異なっていても個人としての悲嘆の経験は似通っています。文化が異なれば、喪の儀式、伝統、悲嘆の表現方法なども異なってきますが、それでも個人としての悲嘆の経験は似通っているのです。故人の死に家族が対処していくことを助けるには、その家族の文化的伝統に敬意を払い、弔い方を家族内で決めるように促します。愛する人の喪失に対処しようとしている人に尋ねるべき重要な事柄には、以下のようなものがあります:
死、悲嘆、喪は、誰もが避けては通れない、人生における正常な出来事です。死に対しては、どの文化においても何らかの発達した対処方法が存在しています。そうした行為を妨げることは、必要な悲嘆過程を妨害することにつながる場合があります。医師にとっては、死に対する文化的反応の違いを理解しておくことが、他の文化圏の患者さんにおける悲嘆の過程を認識する際の助けとなります。